She saw da sea. 

なんどこの世は終われば良いと思っただろう。

おそらく朝と夜、特にラッシュと終電の度には考えているから、

1年に300回近くは浮かんで消えたはず。

今日は5回くらい考えてたから、おそらく自己最高記録更新だ。

 

両親とも最近はろくにしゃべっていない。

申し訳なさとふがいなさが相まって、言葉が詰まる。

母は時折声をかけてくるけど、父は何も言わなかった。

それにリビングが苦手だった。

壁に飾ってある小さい頃のわたしの絵。

「おとうさんのようになりたい」という言葉を、

わたしはもう直視できなかった。

 

「いやあの、別に私、ネガティブなわけじゃないんです。

悩んで苦しんでるってわけでもないですし。

ただそういう時期ってだけで、

普段はもうちょっと明るい女の子して・・・るはずですし。

でも、世間一般の恋話とか、男がどうだとかってのはあんまり興味なくて。

男性が嫌いってわけでもないんです。恋ぐらいしたことあります。

だけど、あの女の子女の子した空気が苦手で。

せめて清潔感さえあってくれれば良いんですけどねー。

まぁでもああいう子が選ばれるのもわかるんです。統率とり易そうだし、

何がしたいかなんかじゃなくてそこにいればいいっていうか。」

 

「満足した?」

「え?」

「満足したかって聞いてんのー。」

「・・・。」

 

答える事ができなかった。

相手との時間を自分だけがこんなに占領していたとは。

それに気づかされた時、私は赤面とともに少しの安堵を感じた。

 

「酒飲み始めたかと思ったら、ずーっとしゃべってんだもん。」

「・・・全然気がつきませんでした。すいません・・・。」

 

先輩は黙って聞いてくれていた。

わざわざ家までお邪魔して、結果このざまである。

 

「構わないけどさ。そんなに大変かい、学生さん。」

「大変、というほどではないですけど、自分のやりたいこととかっていまいちわかんなくて。」

「あー!それねー。あたしもあったよ。なんかこの先なんでもいいやってなっちゃうような時期でしょ?」

「・・・えぇ、まぁ、そんな感じのやつです。」

「だいたい、自分が何やりたいかなんか、よくわかってるってんの。寝たい、食べたい、酒飲みたいってさ。」

「それは・・・どうなんでしょうか・・・。」

「何言ってんのよ。人間みんなそんなもんでしょ。じゃあ、あんたは何やりたいのさ。」

「私は・・・バイトで学んだ接客技術を使って、人と人との架け橋になるお仕事ができればって。」

「あー、なにそれ、あんた、それ落ちたよ。確定だよ。」

「えっ?なんでわかるんですか。」

「あー・・・・、ね。わかった。あんた、それで今日ここに来たね?うっぷんばらしってことだ。」

「・・・。」

「あんたね、そんな嘘くさい人間、信じられる? 少なくともあんたはそれじゃ無理だよ。」

「なんでですか!?」

「溺れそうだからさ。」

「・・・どういうことですか?」

「みんな溺れないように必死なわけさ。」

「自分が溺れそうなのに、さらに溺れそうなやつを助けるかい?そうじゃない。溺れそうな奴は溺れさせておく。」

「私は・・・もう溺れかけてるんでしょうか。」

「・・・そうかもね。」

「・・・どうしたらいいんでしょう。」

「そんなあんたに大チャンス。答えは意外や意外なとこにあるみたいよ。」

「意外な・・・。」

「わかるかい?」

「んー・・・。」

「まぁ、考えてみんさい。」

「えっおしえ」

「ただいまー。あらーきてたの?」

 

先輩の同居人の帰宅は、あらかじめタイミングを図られていたようである。

飲んできたのか頬を染めた彼女の顔は女性の色気を纏っていた。

 

「あ、おじゃましてます。」

「おかーりー。ご飯かってきてくれた?」

「あ、ごめん、わすれた。」

「ちょっとー!冷蔵庫に何も無いよって言ったじゃん!」

「今、残り物で作るからちょっと待ってよー。」

「早くね、早く。」

「わかったわかった。」

「あの子の分も作ってあげてね。」

 

酔いつぶれた私はそのまま先輩の部屋に泊まり込んだ。

夢に見たのは、父に手を繋がれた幼き日の自分。たのしかった水族館。

「すごいねー!」

キラキラ光る水の中。華麗に泳ぐ魚たち。その姿に見とれている私。

水中を、光を反射させながら自由に泳ぐ。

帰りにぬいぐるみをねだったことを思い出していた。

 

「・・・さん、・・・藤枝さん。」

「あ、はい、すみません!」

「藤枝さん、中にお入りください。」

「よろしく、おねがいたします。」

「では早速、志望理由から。」

 

 

 

 

帰り道。道ばたのベンチに腰掛ける。

電灯が切れそうになってチカチカしていた。

「私は、人と人とを、つなぐ、以前の問題か・・・。」

通り過ぎる猫たちがじゃれ合うも、片方がそっぽを向いて歩いていってしまった。

 

そのとき、目の前にハンカチが落ちた。

男性が落とし物をしたのだ。

拾うか悩む私。だが、何故だか拾う事にした。

落とし主を必死に追いかけるも、追いつかない。

いつの間にか見えなくなっていた。

追いつけないほどに、この道は長いのかと。

世界が、世界がとっても長くて広く思えた。

しかし、世界も捨てたものではない。

遠くの路地に曲がり行く男性の後ろ姿が見えた。

アスファルトを踏むヒールがコンコンと素早いリズムを立てた。

曲がった先には細い小道。軒下といくつかの店が連なっている。

その先を行くと草のアーケードのようなものがあり、それを潜ることにした。

 

その時、私は後悔したのか、喜んだのか、確かな気持ちはわからない。

そこでは、小人や機械や悪魔や天使が色々な仕事をしている、ように見えた。

小さい頃に大事にしていたぬいぐるみやおもちゃに似ている。

靴を作り、椅子を作り、包丁を作り、服を作り、

機械は時計を作り、絵を作り、楽器を作り、

悪魔は何もしていないので、天使が必死にわめいている。

彼らは私に気づいているのか、こちらをチラッと見たのか見ていないのか、

黙々と作業とさぼりとお小言を続けていく。

私も気にせず先に進むと、路地の奥にある小さな喫茶店に男性が入っていくのを見た。

中に入ると酒を飲むものや、コーヒーを飲むもの、読書をするもの、食事をするものでにぎわっていた。

どこか親しげな雰囲気があり、家族のような空気が流れている。

そこに男性の姿はない。

「いらっしゃい」

「あの、30代くらいの男性が入ってきませんでしたか?」

「さてね、ここはいろんな人間が来ては、勝手に出入りしていくから。」

「そうですか。」

壁には魚と海の絵。

「とりあえず、座んなさいね。」

「えっ。」

「うちに入った人間をもてなさずに返すわけにもいかないんでね。」

おずおずと椅子に座る。メニューを見る。見た事もない品名がならぶ。

「何にしようか。」

「えっと・・・・」

「気になるもんでも差してみな。」

「じゃあ、・・・これを。」

ふっとほくそえむマスター。びくっとする私。

「ちょっと待ってな。」

マスターが奥に行くのを見送ると、私は周りを見渡した。

彼らが使っている物々がさっき通った路地で作られていたものだと気づく。

大切につかっていないのだろうか、それらは全て新品だ。

ふと壁にかけられた海の絵をまじまじと見つめる。

きれいなそれは魚たちの泳ぐ海。

「いい絵だろ。」

マスターが大きな皿を抱えて帰ってきた。

「あ、はい。」

「お待ちどう。」

豚肉のローストにはちみつがかかっている。周りの野菜は見た事もないもの。おいしそう。

「海は眺めるに限る。」

ごはんに見とれている私は言葉は頭に入らなかった。

「見てたって腹はふくれねぇ。食いな。」

「い、いただきます。」

ナイフとフォークで食べ始める。しばらく食う。

「興味を満ったら、とりあえず頼んでみればいい。それが出会いってもんだ。

 そこで好きだったり、嫌いだったりする。それを楽しむのが粋ってもんさ。」

「でも、嫌いだったら、いやじゃないですか・・・。」

「いつか好きになればいいさ。片意地はっちゃ楽しむもんも楽しめねぇ。」

「はい・・・すいません・・・。」

「意固地になればそれだけ沈んでいく。固まって、沈んで、海の底さ。」

食べ終わる。

「あの、おいくらですか。」

「お代はもう貰ったよ。」

「えっ?」

「あちらさんにな。」

裏の出口からさっきの男性が出て行く。

「わたし、追いかけなきゃ。あ、ごちそうさまでした!」

「おうよ。」

裏の出口の先は真っ暗で、ぽつぽつと電灯が立っている。

男性の影がだんだんと細く長くなっていく。

恐がりながらも追いかけると、知らない駅にたどり着いた。

男性は改札を抜け、電車に乗り込む。

「あの電車のりたいんですけど。」

「あいよ、じゃあ通りな。」

「あの、お代は?」

「あちらが払ってくれたよ。」

「駅員までもがそう告げる。」

なんとかホームを抜けて、電車に乗る。

男性の向かいに座った。

どう声をかけようか、どうしたものか。

顔をあげると見覚えのあるような、ないような。

懐かしさと暖かさ、厳しさと優しさを感じる。

私は顔を見つめる事ができなかった。

もじもじとしていると、がこんがこんと電車が動き出す。

沈黙がきまずい。私だけかもしれないが。

落とし物をぎゅっと握りしめていると、男性が顔を向けたのがわかった。

「・・・拾ってくれたのかい?」

「あ、えっと、」

「ありがとう。」

「・・・いや、とんでもないです。」

「それのために君の時間を使わせてしまったね。」

「暇なようなもんなんで、気にしないでください。」

「疲れたかい?」

「いや、全然。」

「そうか。それなら良かった。きっと、君が心から私に届けたいと思ってくれたからだろう。」

まじまじと落とし物を見る。

「お礼にそれは君にあげよう。」

「でも、そんな。わたし今までもらってばっかりで。」

「大丈夫。」

「わたし何もしていないのに・・・。」

「それは僕から君への贈り物にしよう。」

「そんな。」

「いいんだ。私に出来るのはここまでさ。

 これからの君の道中には邪魔なものかもしれないけどね。

 それに、何よりも。

 こんな私にこの広い海で出会ってくれたのだから。」

ふと電車が止まる。駅なのだろうか、回りには何も無い。

効果音が鳴るとドアが開いた。しかし回りに何も無い。

「それでは。」男性は降り立ってしまった。

「あっ」

追いかけようとするも、寸前でドアがしまった。

窓の向こうを眺めるも、やはりそこには何も無い。

わたしは途方にくれてしまった。

しかし、私の手元から光があふれる。まぶしさで目を背けるほどに。

落とし物、今では私のものになったそれが瞬いていた。

その光で外を照らしてみた。

海だ。

そこは海中だった。光の横を魚が駆け抜ける。

暗い夜の闇。誰しもが迷いそうな夜の海。

一際綺麗な魚が窓の前に止まる。光の元にやってきたのだ。

魚がすっと先頭の方に泳いでいった。

追うように私も追いかける。時々つまづきそうになれど、

なんとか見逃さないように。今度は見失わないように。

先頭車両はガラス張りになっていて、運転手もだれもいなかった。

光がすーっとその線路の先を照らすと電車はゆっくり動き出した。

さっきの魚は寄り添うように泳いでいた。電車のスピードにも追いつきながら。

少し達と電車が止まった。

ドアが開くと忙しい町並み。

少し怖かった。でも、一歩踏み出す。

ドアを抜けると、先ほどの場所に戻っていた。

回りには電車も海もなくなっていた。

 

何が起きたのかはわからない。

でも、その時心は穏やかだった。

何がそうさせるのか、私にはわかっていたけれど。

あえて口には出さなかった。

夜が開けて朝に変わる頃の話だった。

End.